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  • 執筆者の写真YUKO OBA

不遇の時代を思い出して号泣

昨日、NHK BSでチェッカーズの解散コンサートを放送していた。


解散コンサートは4daysか5daysで、わたしが行ったのは最終日の確か2日前。前から7列目のチケットを握りしめ、仕事が終わる時間をいまかいまかと待って、同僚と急いで武道館に行ったのを思い出した。そうそう、解散がほんとうに悲しくて、開演すぐに号泣したんだった。


で、昨日は昨日でいろいろな想いが重なって号泣。


そう、チェッカーズがデビューしたころ、わたしはまだ中学生だったと思う。アイドルとしてデビューしたのにアイドルっぽくなく、衣装がおしゃれで、普段着は雑誌Olive でおなじみの45RPM。確かOliveのカバーを飾ったこともあったはず。音楽雑誌にも載っていたらしいし、メジャーとマイナーの間を自由に行き来していて、その姿もまたかっこよかった。


あとは、久留米で普通の生活を送っていた彼らがスターダムに駆け上がる、その姿、その道のり、そんな想いを書いた歌詞、そこに自分をだぶらせていたいというのが、ハマっていた理由でもあった、と昨日改めて思った。


解散当時、わたしはなんとかこっちの業界に入ったものの、コピーライターにはまだまだなれるような状態ではなかった。それを実現するためには学歴がないとか、業界を知らないとか、コネがないとか、そもそも狭き門とか、とにかくないないづくしだった。いまみたいに情報がたくさんあるわけではないから、「広告批評」「宣伝会議」を買って業界研究し、広告学校や宣伝会議の養成講座に通い、家に帰ったらコピー年鑑を書き写して、いいコピーを肌で覚え…。


それでもなれるもんじゃなくて、もう、諦めるか〜と思った5年目くらいに、なんとかアシスタントになれて。ところが、その後は、当時勤めていたコピーライター事務所が経営危機となり、フリーランスになり…。


でも、いまでも結構忙しく仕事させてもらっていま〜す!


あまり大きな仕事はしていないし、賞も取っていないけれど、それでも毎日楽しみながら、クライアントやいろいろなスタッフに支えられながら、仕事ができている。なんてありがたいんだ、そんな想いが噴出。あの不遇の時代とチェッカーズに感謝だなと思う。


さて、ときは移りすぎ、いまは、コロナ禍での無料配信しまくったサカナクションにハマり中。彼らもやはり、田舎から出てきて、メジャーとマイナーの間を自由に行き来し、ファッション性もあり、カルチャーにも影響を及ぼし、楽曲だけでない魅力がある。プラス、どうファンビジネスを運営するかみたいな戦略性が広告やマーケの考え方をベースにしているようで、そこらへんが勉強になり、沼にハマったのである。


そうそう、わたしは、生まれ変わったら芸能マネージャーになりたいという気持ちが昔からある。田舎で普通の生活を送っていた子を日本一に育て上げたい(笑)。


って、世に知られていない商品や企業を知らしめ、成長につなげるという、いまの仕事となんら変わらないのだが。


そうか、わたしのやりたいことは、やっぱりここなんだ!と、再認識。


おぉぉ、まだまだどころか、これまで以上にがんばれそうな気がしてきた!まずは体力維持か…。ということで午後からマッサージ。

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