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執筆者の写真YUKO OBA

数年たって気づいたこと。


東日本大震災のあと、当時所属していた地域ボランティアグループ2団体が

街角に立って募金をするためのメンバーを募集していました。

あのときは「ネットで募金できるのに、そんな非効率なことしなくてもいい。労力のムダ」と

思っていて、「ネットで募金したし、復興債を買ったから私はいい」と

参加しなかったんです。

でも、私は子どものころ、毎年、地域の活動で寒い冬の日に

歳末助け合い募金をして、大変だったことを覚えています。

募金をしてもらえると、嬉しかったことも覚えています。

だから、いまでも街頭に立つ学生を見ると募金したくなります。

だって立っているの、大変だもの。

それなのに、あのとき、私はどうして募金活動に参加しなかったのだろう。

どうして、子どものころの感情を忘れていたんだろう。

少なくとも、募金をしようと言い出した人の気持ちは、とても尊かったはずで。

少なくとも、道行く人の中には募金をしてくれる人がいたはずで。

少なくとも、仲間と「大変だったね」「疲れたね」などと語り、ねぎらえたはずで。

少なくとも、募金は誰かの役に立ったはずだというのに…。

(しかも、だいぶ集まったらしいです)

なんで、そこを想像できなかったのだろうと思いました。

そして、それらいくつかの感情を、ふと、今日思い出しました。

二子玉川ライズの周年記念売り出しの様子を見て。

7年前の春、自粛して開業が遅れたんですよ、ライズ。

大変な人がたくさんいたのに、物欲を刺激する商業施設の開業は

どう考えたってムリだったんですよね。

そして、7年たった今日、俗っぽいものにまみれながら、思い出しました。

とても不思議な感覚です。

人は、忘れて、人は、俗にまみれて、でも、ふと思い出して。

感情は、いくつもの年月の中で鎖のようにつながっていくんですね。

忘れてはいけないことを、忘れないようにしないといけない。

そのためには、何をすればいいのでしょうか。

思い出すためのこころの余裕をもって生きていくということでしょうかね。

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