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  • 執筆者の写真YUKO OBA

こころの霧が晴れた、韓国の旅。


かつて、韓国企業が発行する冊子を制作する仕事をしていました。韓流ブームより前、日韓共催サッカーワールドカップ(2002年)前後だったと思います。

その冊子の役割は、韓国の文化を紹介しながらクライアント企業のPRに役立てること。まずは韓国を知らないといけないので、私は、さまざまな資料を読みあさりました。

資料を読むたび、複雑な気持ちになりました。民族性について、反日感情について、消化出来ないものが積み重なり、それでもなお韓国の魅力を伝えなければならず、さらにはクライアントとのコミュニケーションも難しく、とても大変な仕事でした。

韓国へは10回以上取材に行きました。楽しい取材もたくさんありましたが、カルチャーショックを受けることもありましたし、食事に慣れることもなく、毎回、お腹を壊していました。そして、4年ほど関わり、その仕事を離れることになりました。

その後も足が韓国に向くことはなく、月日が過ぎました。

ところが昨年のことです。当時お世話になったコーディネーターさんたちが東京でイベントをやるというので、それに行ってみました。また会いたいと思ったのです。

次は、こっちから韓国に行ってみようと思うようになりました。

おもしろいことに、今年に入って、音信不通だったアメリカに住む韓国人の友人から「明日、東京に行くから!」と連絡がきて、感動の再会も果たしました。

そして、今年の秋のはじめに、別の友人から旅行を提案され、「韓国は?」ともちかけたところ韓国に決まりました。

日韓関係が史上最悪といわれるこの秋に、私は韓国へ行くことにしました。

行くと決めたら、今度は、日韓の政治的交渉に関するネガティブなニュースがどんどん耳に入り、どんどん気持ちは暗くなり、「やめた方がよかったかな」と思いました。なかば、緊張しながら訪韓しました。

ところが、現地では、地下鉄でおじさんにニコニコしながら「どちらからいらしたのですか?」などと声をかけられたり、また別のおじさんからは、乗り換えでまごついているところ「チュンムロで乗り換えたらいいですよ」と親切にされたりしました。

さらに、当時お世話になった方と会い、ざっくばらんにあのときの話ができました。また、「大場さんは韓国には来ないと思っていた。食事も合わなかったみたいだし」と言われました。そうなのです、あのときは、多分、きっと、行かないだろうなと思っていました。食事に関しては、ピロリ菌を除菌したら、お腹を壊すことが減り、外食時の緊張感は減りまして(笑)。いやいや、とてもいい時間を過ごせました。ありがとうございます。

しかし、考えてみたら、代理店のコピーライターに比べたら圧倒的に差をつけられていた当時の自分に、差別化できる別のスキルをつけさせてくれたのが、あの仕事だったのです。

物事を論理的に考える、ネガティブなことをポジティブ変換する、長い文章を書く、企画や編集をするといったことが少なからずできるようになり、いまもキャッチコピーやコンセプトワークといったいわゆるコピーライター的な仕事と、きちんとクライアント企業とユーザーの立場も理解してまとめるライター系の仕事とが混在し、なんとか、生き残れているのかなと思います。だからこそ、行ってみようと思ったのかもしれません。

政治的なモヤモヤは、現地の人の優しさに触れて、一気に払拭されました。

ケンカというものは、結局、お互い自分の言い分しかわかりませんし、やられた方は覚えているけれど、やった方は忘れていたりもします。いま、言っていること、やっていることが、こちらから見たら明らかにおかしいとは思います。でも、主張をするのが韓国人であり、日本人はあまり自己主張しない、そんな民族性も理解しないといけない。GSOMIAの件は、韓国側の外交カードだろうし、もしかしたら、いまも劣等感、優越感みたいなものも少なからずあるんじゃないのかなとも思います。ですから、本来であれば、人と人同士、お互いの傷みや言い分を開示し合い、「あのとき、約束破られて、本当にショックだったんだよ」「うーん、約束破ったのはごめんね。でも、やっぱり過去のことは、とてもとてもつらいんだよ」なんて、もう泣きながらでも腹を割って話すしかないんじゃないかなと思います。

なんか、この世の中はやはり人が中心であり、その中心にはこころがあるわけで、そこをもうちょっと大切に扱えないのかなと。これからはどんどん多様な社会になっていくので、人と人がもっと認め合って、寄り添って生きるべきなんでしょうけれどね。

そんなことを考えていたら、じわーっと泣けてきました。

帰国して、成田エクスプレスで都心に戻る途中、ある友人からメッセージが届きました。彼女もまたしばらく会っていなくて。「今晩、食事しない?」と。

荷物を片付けて、でかけました。

彼女から「(人生って)ムダなことはひとつもないよね」という言葉が出てきました。

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